平成十九年二月十六日。
上智大学合格発表日の朝。

私は朝食を済ませコーヒーを飲みながら仕事をしていました。
しかし、その日は教え子と私にとって特別な日でしたので時計を見る回数が増えてしまい仕事が手につかない状態でした。
その時、私の携帯が鳴ったのです。

それは教え子からの電話でした。

一 出会い

 私は平成十八年につくば市に『化学専門塾』を創立し生徒の募集を開始しました。
季節は梅雨に入り雨が降る日が続いていた頃、高校三年生の生徒達が入塾しました。土浦一高の生徒が二人、竹園高校の生徒が一人の合計三人のクラスがスタートしたのです。それが私と彼らの初めての出会いでした。
この物語は私と三人の生徒達の話を中心に書いていきます。

二 始まり

 

 七月から授業を開始しました。まずは生徒達の現時点での力を把握しておきたかったので六月におこなわれた進研マークの点数を訊いてみました。
土浦一高と言えば県内で一番の進学校。当然、出来る子達なんだろうなと思っていたんですが返ってきた答えは三十点台、四十点台でした。
『ありえね~。』
はっきり言って、どこの大学にも受かりません。志望校もレベルの高い大学や医学部、薬学部ばっかり書いているので模試の判定もE判定のオンパレード。ここから私達の戦いが始まったのです。
まずは基礎の復習です。原子の話から始め、同位体、同素体について・・・。水素には中性子が無く、重水素や三重水素には中性子があるなど教科書の最初の方からしっかり勉強することにしました。
まともに勉強しても受験に間に合わないので語呂合わせや楽に計算できる解法テクニックなどの裏技も全てこの子達に教えました。
後は勉強の日々です。
世間は夏休みでも勉強。
正月も勉強。
この三人は、『家にいると紅白を見てしまうかもしれないから塾で勉強したい。』と言ってきたので大晦日もみんなで勉強することにしました。
年が明けてもめでたいことなんて一つもありません。
入試に向けて真摯に勉強するのみです。

 みんな化学の成績を少しずつ伸ばしていき入試直前の模試では学年順位十位以内(土浦一高)に入れるようになっていました。他の科目もそれぞれの子達が頑張ってくれ、なんとか受験生として戦えるレベルにまで成長していました。模試の判定もE判定ばっかりだったのがB判定やC判定も出せるようになっていたのです。

 

三 入試本番

 

 一月二十日、二十一日。センター試験がおこなわれました。
私はみんなを応援するため朝から会場に行き待っていました。入試独特の雰囲気が会場には広まっており緊張した面持ちの受験生がたくさんいました。
『せんせ~、来るの早いですね。』
うちの塾の生徒がやってきました。
『うん、早く来て待ってたんだぁ。』
『緊張しています。』
『大丈夫だよ。たくさん勉強したんだから。』
そう言って私は生徒と握手をし、カイロを手渡して校舎に入っていく生徒を見送りました。
後は全ての力を出し切ってくれることを祈るだけでした。

 

センター試験が終わるとすぐに私立大学の一般入試が始まります。私立大を本命にしている子にとってはこの入試が人生の分かれ目です。合格するか不合格か二つに一つしかありません。入試日まで必死に勉強するのみでした。睡眠不足でみんなぼろぼろでしたが、その姿はとても素敵でした。
そして一月も後半になり一人、また一人と入試を受けに旅立っていきました。

四 結果

平成十九年二月十六日。
上智大学合格発表日の朝。

 私は朝食を済ませコーヒーを飲みながら仕事をしていました。
しかし、その日は教え子と私にとって特別な日でしたので時計を見る回数が増えてしまい仕事が手につかない状態でした。
その時、私の携帯が鳴ったのです。

 それは教え子からの電話でした。
正直、電話に出るのが怖かったです。上智はA判定が出ていなかったので心配でした。そんな心境で通話ボタンを押すと
『せんせ~、上智大学に受かったよ。』
『えっ、ほんと? おめでとう!』
『ほんとですよ。これも先生のおかげです。』
『うん、それはそうだね。』
『あはは、そこは認めちゃうんだ。』
『ははは。』
『でも化学かなり出来たから点数稼げたと思う。』
『いやまぁでも本当によかったね。おめでとう。』
『ありがとうございます。』
電話を切った後、嬉しくて、ただただ嬉しくて・・・。今まで頑張ってきて良かったと心の底から思いました。

 上智大学に合格した生徒は筑波大学にも合格しました。
私大の薬学部を本命にしていた子も無事に東京薬科大学に合格し、
残りの一人は名城大学薬学部に合格しました。

五 光と影

 大学入試には定員があります。全員が受かるわけではありません。うちの子達も受験した大学全てに合格したわけではありません。
それでも彼等の努力は美しく、私を感動させるものがありました。
彼等が残した結果を私は誇りに思っています。

六 戦いは続く

 あの時の生徒達も今は大学院生。時の流れは早いものです。化学専門おだ塾には、その後も新しく生徒達が入塾してくれました。なかには京都大学や筑波大学医学部に合格した子達もいます。これからも一緒に勉強していく生徒達の夢を叶えるお手伝いができれば本望だと思っています。

平成二十四年三月四日 小田 高広